茶酔叢書の刊行に寄せて
この文章は、2024年1月に刊行した『茶酔叢書 巻一』のあとがきとして掲載したものです。
シリーズ全体の編集方針を書いたものなので、ウェブサイトでも全文公開します。
2019年の秋。旅行先の台湾で山奥にある茶藝館に行きました。足がないのでタクシーで乗り付けると、そこには山間から市街を見下ろす眺望。いそいそと席につき、茶を煎れ始めました。次第に陽が向こうの山にかかる。山腹に並ぶ茶畑が夕日に照らされる。それに見惚れながら、茶杯を口に運ぶ。現地の名茶・木柵鉄観音を何煎も何煎も喫するうちに、香ばしい焙煎香が青々しいうまみへと変化していく。夢のような心地でした。
突然、寒さを感じ、はっとして辺りを見るともう真っ暗。日は完全に落ちて夜に様変わりしていました。そんなわけないと時計を見て目を疑いました。茶を飲み始めてから4時間も経っていたのです。「これはまずい…」こんな夜中の山奥に、タクシーは来てくれない。あれこれ考えたが結局、暗い山道を降りていくほかありませんでした。真っ暗な山の中で、不安で仕方がないはずのその道中、なぜか体は軽く、ふわふわと夜風に乗って飛んでいきそうでした。言葉も通じない旅先で遭難しかけているというのに、不思議と心は解放されていた。まるで茶で酔っ払ったかのよう。下戸の私には酔う感覚なんてわからないはずが、なぜかそう思ったのでした。翌日、市内の茶藝館で昨晩の出来事を話すと、店主が言った。
「お茶に酔ったんですね」
店主の口から出てきた言葉は、まさに私が昨晩思い浮かべたものでした。お茶に酔うという現象は、私の思い違いではなく、実際にあるものだったのだ。これが、私にとっての初めてのお茶酔いでした。
あれから4年。お茶酔いの体験を広めるべく活動してきた、この4年間の軌跡として『茶酔叢書』というZINEのシリーズを始めることになりました。本シリーズは、数々の方の協力がなければ決してこの世に生まれてきませんでした。
茶酔チーム、坂間菜未乃、菊地翼、吉田芽未。4人で営んだ数々の茶行、そこから生まれたありとあらゆるお茶酔いが、本シリーズの背骨になりました。
マンガを描いてくれた最後の手段のみなさん。丁寧に、お茶酔いを感じてみるところからご一緒してくださり、お茶酔い観を共有してくれました。無作法無規格、ゆえに、誰でも気兼ねなく自由に楽しめる。そんな中国茶の魅力を、地球人も宇宙人も宇宙生物も思念体も、みんな一緒に茶を囲み茶に酔う、そんな世界を作ることで表してくれました。
さて、叢書とは本来「本のシリーズ」を意味します。私たち茶酔ではこの叢(くさむら)という字に、さらに特別な3つの想いを込めました。
一に、草の根。
茶酔の活動は、権威から降りてくるのではなく、市井の人から湧き上がる。個人主体のグラスルーツの活動が群れを成して叢を形成していきます。
二に、アジール。
草むらは動物が身を隠し、脅威から逃れる場所でもある。茶会は日常からの避難所であり、そしてそこは俗世のしがらみが持ち込まれない、無縁所でもある。老いも若いも、貴族も庶民も、ブッダもジーザスも。茶を飲めばみな同じ茶飲みです。
三に、遭遇。
茂みには未知が潜んでいる。野生の何かが飛び出してくる草むら。ときには仲間になることも。藪から蛇を歓迎して、むしろこちらから藪に入っていく。
そんな叢を作る想いで、これからも茶酔叢書を刊行していきます。それでは、次の叢もお楽しみに。
2023年の暮れ 多摩川のほとりで茶を飲みながら 後藤桂太郎